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由来、沿革


 1970年代初期、台湾で最初のうなぎ養殖事業がスタートし、数の少なかった養殖業者が彰化や屏東でセメント池によるうなぎの淡水養殖を試み、並びに日本への輸出を開始しました。1970年10月、うなぎ産業の輸出の需要性を見た張渓圳氏をはじめとする14人の養殖業者が、公会の設立を内政部に申請しました。申請案は内政部並びに経済部に許可され、規定の手順を経て1971年2月20日に「台湾区鰻魚輸出業同業公会」が正式に発足しました。

 会員一同が協力しあい努力した結果、公会の業務をいっそう発展させるための準備金が積み立てられて、1976年10月、台北市吉林路24号8階の3に位置する面積46.72坪のオフィスビルの一角を公会の事務所として購入し、さらには1978年7月に現所在地に移転して今日に至っています。

 台湾のえび養殖事業は1990年代に勃興して、当時はえび養殖王国と言われたほど活えびの輸出事業が盛んでした。それをうけて当公会は、活えびの輸出業者を誘い数度にわたり話し合いを行い、会の組織規定を変更して活えびの輸出業務を営業項目に入れることに決定し、1990年3月には許可を得て「台湾区鰻蝦輸出業同業公会」と名称を改めました。1989年に日本の厚生省が日本へ輸出されたウナギとエビから薬物残留を検出したことを受けて、ウナギとエビの生産と販売の秩序が大いに乱れてしまい、輸出業務も殆ど中止となってしまいました。消費市場における食品の衛生問題や安全問題が競争力へ与える影響がますます増大することを鑑みて、当会は水産物検査センターの設立を積極的に進めました。政府主管官庁のバックアップを受けて、1991年11月、桃園県大園郷竹園村竹園街2号にある160坪ほどの土地を借用して台湾区鰻魚輸出業同業公会水産品検査センターを設立しました。また、1991年12月下旬より検査センターが正式に業務を開始するとともに、センター用の建物を新築するのに必要な使用地の調達もし始めました。

 1992年3月、当会は許可を得て桃園県大園郷圳頭村圳股頭に位置する314.3坪の土地を購入して、1994年7月に建坪336.4坪、RC構造の2階建てのセンタービルの建造を開始しました。さらには実験室用の設備を購入して、1995年11月23日、桃園県大園郷圳頭村圳股頭6隣30号に位置する当会水産品検査センタービルが正式に落成して業務を開始しました。